宇多田ヒカル 母 岩手 [ニュース]
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宇多田ヒカルさんの母親である、藤圭子さんがお亡くなりになりました。
2013年8月22日、午前7時頃、東京都新宿区西新宿6のマンション近くの路上で、倒れているのが見つかり、心肺停止状態で病院に運び込まれましたが、間もなく死亡が確認されたという事です。
マンションは28階建てで、藤圭子さんは13階に住んでおり、ベレンダにはスリッパが片方落ちていたそうです。
倒れていた道路の近くには、もう片方のスリッパが落ちていたそうです。
管理会社の男性によると、藤圭子さんは頭から血を流した状態で倒れていて、通行人が110番通報したという事です。
着衣に乱れはなく、遺書も見つかっていないようですが、警察は飛び降り自殺と見て調査を進めているとの事です。
藤圭子さんは、1851年7月5日生まれ。
本名は阿部純子(あべじゅんこ)。
岩手県の一関市生まれで、北海道の旭川市で育ったそうです。
幼い頃から浪曲歌手の父親、三味線瞽女の母・竹山澄子と旅回りの生活を送り、自らも歌っていたそうです。
17歳の時に「さっぽろ雪まつり」で歌ったのがキッカケで上京して歌手デビューをしました。
今年の3月に亡くなった作曲家の石坂まさと組んでヒット曲を連発し、1960年代終わりから1970年代はじめにかけて一世を風靡しました。
ヒット曲には、「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」などがあります。
歌手を引退した後は、夫の宇多田照實さんが代表取締役をつとめる有限会社ユースリー・ミュージックの取締役として登記されています。
ユースリー・ミュージックは、宇多田ヒカルさんが所属する事務所です。
そういえば、宇多田ヒカルさんのでデビュー後まもなく、
「実は宇多田ヒカルさんはニューヨーク生まれではなく、(母の藤圭子さんの生まれた)岩手県の一関市で生まれたのだ」
という噂を聞いたことがありました。
東北地方太平洋沖地震の発生した2011年3月11日(金曜日)の2週間後、宇多田ヒカルさんは、自らのブログに以下のような文章を書かれています。
Hikki's WEBSITE 03.26(SAT) 11:15
http://www.emimusic.jp/hikki/from_hikki/index_j_j.php
今回の大地震と大津波でお亡くなりになった大勢の方々に、お悔やみ申し上げます。
そして大切な人を失った方、帰る場所を失い、不安な日々を送っている方々を思うと、心が痛みます。
私にとっても、母の生まれ故郷である岩手、祖母が眠る宮城も大きな被害を受けたということもあり、今何が出来るか考え、献血、そして日本赤十字社を通して被災地への寄付をさせていただきました。
日本全国で、そして国外からも、同じ気持ちで寄付や支援活動を行っている人たちが沢山、いると思います。今後、テレビで災害の報道がされなくなっても、助け合う気持ち、愛し合う気持ちを忘れずに、みんなで一緒にこの困難を乗り越えていきましょう。
この事態から、私たちひとりひとりが学ぶべきこと、気付くべきことがあると思います。
当たり前のように思っていた今の便利な暮らしが、実はとても脆いシステムの上で成り立っているということ。電力、特に原子力発電に大変依存していて、その負担やリスクの多くを一部地方に担ってもらっていること。
食べ物、生活用品、エネルギー、資源、そして命があることは「当たり前」ではなく、「ありがたい」のだと気付き、「あるから使う」のではなく、「必要なだけ使う」という意識に切り替え、何が無駄かを考えていけたら、みんなで無駄を減らすことが出来る思います。無駄の少ない世界は悲しみも少ない世界かもしれません。
被災者の皆さまの心と身体の傷が癒え、心から笑顔になれる日が一日でも早く来ますように、祈っています。
宇多田ヒカルより
藤圭子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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宇多田ヒカルさんの母親である、藤圭子さんがお亡くなりになりました。
2013年8月22日、午前7時頃、東京都新宿区西新宿6のマンション近くの路上で、倒れているのが見つかり、心肺停止状態で病院に運び込まれましたが、間もなく死亡が確認されたという事です。
マンションは28階建てで、藤圭子さんは13階に住んでおり、ベレンダにはスリッパが片方落ちていたそうです。
倒れていた道路の近くには、もう片方のスリッパが落ちていたそうです。
管理会社の男性によると、藤圭子さんは頭から血を流した状態で倒れていて、通行人が110番通報したという事です。
着衣に乱れはなく、遺書も見つかっていないようですが、警察は飛び降り自殺と見て調査を進めているとの事です。
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藤圭子さんは、1851年7月5日生まれ。
本名は阿部純子(あべじゅんこ)。
岩手県の一関市生まれで、北海道の旭川市で育ったそうです。
幼い頃から浪曲歌手の父親、三味線瞽女の母・竹山澄子と旅回りの生活を送り、自らも歌っていたそうです。
17歳の時に「さっぽろ雪まつり」で歌ったのがキッカケで上京して歌手デビューをしました。
今年の3月に亡くなった作曲家の石坂まさと組んでヒット曲を連発し、1960年代終わりから1970年代はじめにかけて一世を風靡しました。
ヒット曲には、「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」などがあります。
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歌手を引退した後は、夫の宇多田照實さんが代表取締役をつとめる有限会社ユースリー・ミュージックの取締役として登記されています。
ユースリー・ミュージックは、宇多田ヒカルさんが所属する事務所です。
そういえば、宇多田ヒカルさんのでデビュー後まもなく、
「実は宇多田ヒカルさんはニューヨーク生まれではなく、(母の藤圭子さんの生まれた)岩手県の一関市で生まれたのだ」
という噂を聞いたことがありました。
東北地方太平洋沖地震の発生した2011年3月11日(金曜日)の2週間後、宇多田ヒカルさんは、自らのブログに以下のような文章を書かれています。
Hikki's WEBSITE 03.26(SAT) 11:15
http://www.emimusic.jp/hikki/from_hikki/index_j_j.php
今回の大地震と大津波でお亡くなりになった大勢の方々に、お悔やみ申し上げます。
そして大切な人を失った方、帰る場所を失い、不安な日々を送っている方々を思うと、心が痛みます。
私にとっても、母の生まれ故郷である岩手、祖母が眠る宮城も大きな被害を受けたということもあり、今何が出来るか考え、献血、そして日本赤十字社を通して被災地への寄付をさせていただきました。
日本全国で、そして国外からも、同じ気持ちで寄付や支援活動を行っている人たちが沢山、いると思います。今後、テレビで災害の報道がされなくなっても、助け合う気持ち、愛し合う気持ちを忘れずに、みんなで一緒にこの困難を乗り越えていきましょう。
この事態から、私たちひとりひとりが学ぶべきこと、気付くべきことがあると思います。
当たり前のように思っていた今の便利な暮らしが、実はとても脆いシステムの上で成り立っているということ。電力、特に原子力発電に大変依存していて、その負担やリスクの多くを一部地方に担ってもらっていること。
食べ物、生活用品、エネルギー、資源、そして命があることは「当たり前」ではなく、「ありがたい」のだと気付き、「あるから使う」のではなく、「必要なだけ使う」という意識に切り替え、何が無駄かを考えていけたら、みんなで無駄を減らすことが出来る思います。無駄の少ない世界は悲しみも少ない世界かもしれません。
被災者の皆さまの心と身体の傷が癒え、心から笑顔になれる日が一日でも早く来ますように、祈っています。
宇多田ヒカルより
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藤圭子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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